2009年11月27日金曜日

雨が降るたびに

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雨が降るたびに秋が深まっていく、

夕暮れに降る雨は物悲しさであたりを包み込んでしまう

しとしとと静かに来るべき冬の前ぶれをしているような

2009年5月11日月曜日

郡界橋から佐保川川上に向かって


 庫書房のすぐ脇を流れる一級河川佐保川、県道144号線が交差する郡界橋のうえから 川上(北方向)をみる。

護岸工事がこのあたりで一段落かな、続きは次年度なのだろう。写真手前に石をつめたようなブロック状の箱が並びおかれている。護岸のため奈のだろう、3段に階段状に積み上げられている。石を詰め込んだようになっているブロック状の箱は運びやすさとかの工事を進める効率やあとのメンテナンスのし安さなどが考慮されているのではないかと思う。また、かなりの隙間があることで動植物にとってより自然に近い状態だと思われる。セメントで塗り固めてしまうことが問題視されていた中から出てきた新しい工夫かのかもしれない。

このあたりの両岸の土手沿いに近所の住民の方々が朝夕散歩をする姿が多く見られる。近くを流れる富雄川や秋篠川の川沿いには歩きやすく幅を取ったり小さな休憩できる場所を設置したりされた遊歩道の整備が進んでいるので、この佐保川郡界橋あたりにも、もっと歩く人たちに優しい遊歩道が整備される日が来ることを期待したい。
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2009年5月6日水曜日

 県道144号線が佐保川を越える 郡界橋から南に向かって下流を見た。黄色い花は菜の花ではなく、よく似た西洋からし菜です。郡界橋の架け替え工事が終わった後、護岸工事だろうか、ブルドーザーやダンプカーが土手を走り川底をさらえたり、岸辺にブロックを置いたりして騒がしかったのですが、ようやく静かになった。

 この下流の次の橋も架け替えがすみ、地蔵院川との合流あたりの趣も少し変わった。合流付近に何戸かあった民家が移転して川幅が広がり、太子橋は少し下流のほうへ移動し幅の広い橋に変わった。

 そうした工事のおかげなのか、悪臭のした言い難い色に汚れて川底など見えなかった一級河川佐保川が何か川底も見え、きれいになっているようだ。万葉の時代にはうるさいほどの河鹿のこえと千鳥のなく声もきかれたという佐保川のほとり、よい環境が取り戻されることを願う。

 少し心残りは橋の袂のお地蔵さん辺りにあった見事な銀杏の木が今はないことがさみしい。

2009年4月26日日曜日

うちの店のすぐ近く 大和郡山市と奈良市の境界あたりに近い同じ下三橋という町内にイオンができる。話はずいぶん前からあり事前発掘調査では下三橋遺跡が新聞に出るほどの話題となっていた。その後景気後退の波でオープンが先送りになるというニュースも流れたが先日一般向け説明会があり規模を縮小するが予定通り今年中にはオープンするということになったようだ。

付近は将来京奈和自動車道のインターができる予定となっており遠来の客も見込んでの立地なのだろう。近所からミニスーパーが消え陸の孤島となっている平和団地周辺の消費者としては待ち遠しい。反面周辺商業者は脅威を感じている。1年先には何か結果も出ていることだろう。のんびりとした何もない風景の中に道路やこういった大型ショッピングセンターのような建物ができて、このあたりもだんだんと変わってきています。

2009年3月29日日曜日




 花冷えだというのだろう、昼間も気温があまりあがらず冷たい風がそよぐ中 大和郡山のお城祭りが始まった。桜は例年より早いという予報どおり、一週間ほど早く咲き始めたもののこの寒さで止まっているようだ。城ホールのむかいがわ線路をはさんで見える枝垂桜は見事に咲いて夜もライトアップされている。この寒さで次の週末まで桜は持つだろう。しばらくは観光客でにぎわう城下町。
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2009年3月4日水曜日

3月3日花祭り



 3月3日は当店の開店記念日でもありますが、今年は格段の寒さでした。2月終わりには異常なほどのあたたかさで暑いほどだったのですが、3月には行って急に冷え込み、体中に寒気を感じるうちに とうとう体調を崩してしまいました。

 ともあれ、梅桃サクラの声が聞かれる頃となり、気象庁からサクラの開花予報もありました。あちこちのお庭の白い梅や赤い梅が塀越しに早春の空に春の色をつけています。

 きょうは例年より暖かくなるということですが、朝はまだまだ冷たい風で身体が冷えます。

2008年5月17日土曜日



小さな針のような数本のテレビ塔が山並みの上に突き出ている生駒山に向かって日が沈んでゆく。朝日はあまり縁がないが夕日を眺めることは多い。かわることなく東から上り西へ沈む太陽が万葉の時代からまほろばの大和の地を照らし続けてきた。その日の光を受けて人々が大地に行き続けてきた。そうした生活が途切れることなく綿々と受け継がれてきているから、ここに歴史が今も生きている。今年がどんな年であろうともここに都のあったころも今も人々は同じ夕日を見つめていたのだと思う。
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